網野善彦は、職能民に対する差別の表出を、移住と集住に関連させて論じていた。そういうものを考えると、「癩身分」の人が放浪するという流れはむしろ、どこかへ集住するための過渡的段階と捉えることができるのではないだろうか。

もちろん、近代における「浮浪癩」の時代は、クリアランスによって行き場を失った病者たちが、落ち着く場所を求めて彷徨した時代ともいえます。ただし、近代は保養所以外に彼らの居場所を設定しなかったので、これを「過渡期」と称するのは間違いでしょう。移動は、移動主体の側の動機だけでなく、それを促す/許容する/禁止する社会との関係で考えられねばなりません。四国遍路のハンセン病者などは、循環的に放浪することによって初めて生存を実現していたわけで、いうなれば放浪自体が彼らの「居場所」だったのです。