私は熊本県出身で、本妙寺という名もなじみ深いものでしたが、ハンセン病者の集住地であったことは初めて知りました。ハンセン病者とえば菊池恵楓園という認識しかなかったためです。恵楓園が作られたのは、この時期よりも後なのですか?

恵楓園という名称になったのは1941年ですが、その前身は九州療養所ですから、もともとは1911年にまで遡ります。しかし、恵楓園はあくまで公権力に基づく施設で、1931年の癩予防法に基づき強制収容を進めるものでしたので、それを恐れ嫌がった病者たちが本妙寺に集落を作っていたのです。これは、近世に諸藩に形成されていた癩村の伝統にも結びつくものと考えられます。