理想的年代記は、やがてAIによって可能になるかもしれませんが、それが歴史といえるのかどうか分からなくなりました。

そのとおりですね。ダントーがいいたかったことも、まさにそこにあるはずです。つまり、あらゆることを起きた直後に記録する「理想的年代記」は、たとえそれが可能になったとしても、単なる記録であって「歴史叙述」にはならない。歴史叙述の本質は、後世の視点から過去をみつめその意味を変容させるナラティヴにあるのだ、ということです。多くの歴史学者にとっては、これは歴史学の客観性を否定するものと映ったかもしれませんが、ぼくには歴史学歴史学たる由縁、歴史叙述の根幹を言い当てたものと映ります。