ポストモダン的傾向と、保苅が目指した方向とは同じものだったのでしょうか。

保苅は、ポストモダンの先へ行こうとしたわけです。ポストモダンの潮流は、近代学問の問題性をあぶり出したけれども、結局は学問同士、また学問と社会との間に分断と軋轢を生み出してしまった。それを新しい形で結び直すにはどうするか。自分を科学的、公明正大と偽らず、限界があり、課題満載の主体と肯定したうえで、対象と関わるにはどうすればよいのか。クロス・カルチュラライジング・ヒストリーは、それを自らに科した保苅のひとつの回答であったと思われます。