物語り性こそが歴史学の本質ならば、事実を知ることは不可能なのでしょうか。歴史学は事実を知ることが基本、と考えるのは間違っているのですか。

復習してほしいのですが、物語りとは、イコール・フィクションではありません。上にも述べましたが、例えば新聞記事も主観的な物語りであって、言葉が介在する限り、あらゆる「事実」と呼ばれるものもすべて物語り性を持つのです。それゆえに、それらが事実と呼ばれるには何らかの手続き、条件が必要であって、新聞の場合にも、テレビのニュースの場合にも、歴史学の場合にもそれがある。その条件・基準をしっかり自覚し、オープンにしておかなければ、他の学問との間においても、一般社会においても、学問としての正当性を保ちえません。歴史学は主観的ですが、可能な限りその考察は客観的であるべきで、事実を追求すべきです。しかしそれは、どんな学問からみても、あらゆる人からみても、単一の事実をなすわけではない。その点が非常に重要なのです。