誰もしたことのない分野や発展的な内容の研究を行うとき、そうした調査におけるレッドラインとはどれほどの位置にあるものなのだろうか。

自然科学の場合は、残念ながらその〈限界線〉は極めて低く設定されてしまっています。冷戦体制下では、東西両陣営が相手を威嚇するため、あるいは殲滅するための兵器開発に血眼になっていましたが、恐ろしいことに、その時代のほうが現代と比べ、科学の〈進化〉のスピードは速かったわけです。あらゆる障碍を取り払い、純粋に発明・開発を追求するよう国家や社会に促され、科学者たちのもとに大金が投じられたからです。現在では、大学などでコンプライアンス・研究倫理教育が強く意識されるようになり、自然科学分野だけでなくあらゆる領域において、生命尊重のみならず論文の書き方に至るまで、倫理規定の遵守が求められています。しかし、そのぶん形式化も進んでしまい、本当の意味での倫理意識は育っていないかもしれませんね。なお、〈限界線〉をどこに設定するかは明白で、その研究を推し進めることで生命の抑圧が進むのであれば、それがいかなる利益を生み出そうとも、やはり放棄しなければならないのです。