先日、現代美術をしている友人と戦争を美術にすることの可不可をめぐって議論になりました。現状の社会のなかで、批判を含んでいると明確に分からない形で戦争に関わる遺物(軍服など)を提示することについて、先生はどう思いますか?

ぼくも基本的には、きちんと批判的に扱う文脈ができていない形で、とくにファッション的に優れているとか、格好がいいとか、興味本位で提示するあり方には反対です。とくに、その背景にあるものが隠蔽されたり、正当化されたりするようなもの、例えば日本におけるナチ党的ファッションの称揚などには、大いに問題を感じます。ただし、これは個人的な経験なのですが、ぼくらが子供時代を過ごした冷戦期の70〜80年代は、玩具店タミヤ・ハセガワ・レベル・モノグラムなどの兵器関係プラモデルが溢れ、書店には第二次大戦をある意味で肯定的に描いた少年少女向けの戦記もの(小学館講談社などの大手出版社が刊行していました)、最新兵器を解説した子供向けの図鑑(学研など)が多く置かれ、映画館ではエンターテイメント系の戦争映画がひっきりなしに上映されていました。しかしそれでも、現在とは比較にならないほど平和教育は行き渡り、子供も大人も良識を弁えていました。現在はこれとまったく逆で、玩具店の主流はアニメーションのキャラクターとなり(まあガンプラはかつての戦争玩具の変形でしょうが)、書店からは戦争色の強いものは消え、戦争映画も批判的視点からのものが主流になったにもかかわらず、極めてタカ派的な考え方が社会に蔓延しています。そのずれがどこにあるのかは、しっかり考えたほうがよさそうです。