言語は、スピーゲルのいうように過去と現在の我々を繋げてくれる道具だが、現在の解釈と過去の意図が違ってきた場合、どのように過去に近づけてゆけばよいのか。

理論だけを追いかけてゆくと次第に議論は単純化してしまい、袋小路に至りがちになってしまいます。理論は常に、現実のデータの収集・分析と対になっていなくてはいけません。何がいいたいかというと、答えは過去の厖大なテクストとの格闘のなかにあるということです。現在のセンスをもって過去のテクストに当たると、読めること、読めないこと、分かること、分からないこと、ある程度は理解できるが違和感を拭えないものなど、たくさんの発見が生まれてきます。それらと丁寧に、誠実に向き合ってゆくことによって、あなたなりの過去との向き合い方が整えられてゆくでしょう(しかしそれも日々更新、解体と再構築の繰り返しになりますが)。