震災後の日本はやたら愛国心を煽るような言説が増えたように感じますが、大きな災害の後は差別やクリアランスに繋がる言説が広がるものなのでしょうか。

その傾向は強いようです。人々が災害の前にうちひしがれ、不安を払拭し自信を取り戻そうとする過程で、保守的になったり、あるいは〈大きなもの〉に依存することで、救済されようとしているのでしょう。また、災害によって長い期間にわたって社会に蓄積されてきた歴史性が崩れることから、権力の側にとっては都市や制度、そうして人々の記憶さえも思い通りに作り変えてゆくのに都合がよいのでしょう。ぼくは集合的忘却と呼んでいますが、記憶や心性のクリアランス、あるいはリセットが、災害の直後に大きく進むことがあります。関東大震災のときには、それによって大正デモクラシーの雰囲気が失われ、国家総動員体制が醸成されてゆきました。東日本大震災以降の社会の激変のなかでも、私たちは、震災以前に社会で何が問題化していたのか、想起しにくくなっています。