日本は、捕鯨には限らず、「伝統」という言葉をあまりに無批判に使用していると感じます。
そうですね、「伝統」があたかも太古の昔から連綿と受け継がれてきているものと、無批判に考える傾向が強い。そうしてそのほとんどが、近代における〈創られた伝統〉である場合が、圧倒的に多いと思います。ぼくは、〈集合的アムネジア〉という言葉を使っているのですが、日常生活のリアルな感覚に結びついていたはずの歴史観が根こそぎ奪われて、国民国家的の物語りに容易に塗り替えられてしまうようなこともしばしばみられます。列島社会には歴史意識が希薄であるということは、折に触れて強烈に感じますが、それはキリスト教的な直線的進歩の観念とは異なる、円環的もしくは螺旋状の歴史意識が強固であるためかもしれません。また、人間が自然環境に対して残した爪痕が、数年のうちに回復してしまうという絶妙な生態系的条件のもとにあることも、ひとつの要因なのでしょう。