負債感は、自然から人間に対する贈与について、人間側が感じるものとすると、贈り物文化に通じるものなのでしょうか?

そうですね、モースやレヴィ=ストロースが注目したように、人間と人間との間に結ばれる贈与交換の関係は、自然環境と人間との関係における転化、もしくは相互構築によって作られてきたものだと思います。以前に書いたことがあるのですが、人間が根源的なところで自然環境とどのような関係にあるかということは、概ね2つのタイプに分かれて認識されているようです。ひとつは、人間自身を自然環境から贈与されたものと考えるタイプで、いわば〈存在の贈与〉と呼ぶべきもの。自然環境を神と置き換えれば、キリスト教的世界観に近いものとなります。ここには、神霊との垂直的な関係認識が発生しやすい。もうひとつは、人間が生存する条件が自然環境から贈与されると考えるタイプで、いわば〈生存の贈与〉です。狩猟採集社会にみられる動物の主神話などは、こうした世界観から成り立っており、神霊との水平的な関係認識が発達しやすい。人間と人間とが贈与交換によって社会を維持するのは、主に後者に強くみられる現象のようです。つまり、突出した統合の象徴を拒否しているために、お互いを権勢し利害を調整しなければならない。列島社会もこの系統でしょうが、個や集団の主張が弱いために、社会全体が突出した神のような傾向を持つようになった印象です。