生物の殺生=罪の思考回路は、仏教の殺生を忌避する考え方にかなり影響を受けている印象があるが、仏教伝来以前にも、動物を悼む風習はあったのか。普段生きてゆくうえで、それが殺生のうえに成り立っているとは気付きづらく、生きるためには仕方ないという発想になる気がするが、それを罪業と結びつけて鯨祭や供養というリアクションを起こさせるような、きっかけのものはなかったのか。

列島社会でいえば、縄文時代から、狩猟・捕食した動物を儀礼的に埋葬した事例はあります。アニミズム的世界観においては、その動物に宿っている精霊をきちんと儀礼的に待遇すれば、その毛皮を取っても、肉を取っても骨を取っても、それは人間の衣服を脱いでもらうような状態に過ぎず、近現代的な意味での〈殺害〉には当たらない。そうした考え方に基づいて、精霊を故郷である精霊の世界へ捧げ物をもって送り返し、再びたくさんの毛皮・肉を持って訪れてきてもらう、一種の〈送り〉祭儀として行われたものとみられます。よって、現代の生命観・罪業観とは質的に異なるのですが、しかしそもそもそうした精霊の〈配慮〉がなされたことの背景には、殺害への負債感が少なからず存在したものと想定されます。新人は、大脳新皮質の発達により抽象的思考を可能にしますが、その重要な機能のひとつに、他者との交感・共感能力があります。人間の生存戦略のひとつである、〈社会を作ること〉に欠かせない能力ですが、新人はこれを、捕食対象の生物や、それ以外のノンヒューマンにも拡大してゆくのです。その結果、何の葛藤もなく捕食することができなくなってゆくわけですが、それこそ文化を多様に豊かに構築していった重要なファクターであるといえるでしょう。