愛国ということは、ある時期から右翼的であると捉えられがちで、敬遠されるようになった。しかし、一国として協力して社会を作りあげてゆくためには、国を愛する気持ちは不可欠であると思う。

「愛国」という言葉は非常に抽象的かつ曖昧なので、単に右翼的であるとか、逆に国家統合に必要であるとか判断すべきではなく、その言葉が、誰によってどのような文脈で何を目的に発せられたのかを、常に注意して考える必要があります。国民国家の政府が口にした場合は、明らかに政府の考える基準に基づく「愛国」なので、「国」とは国民国家であり、「愛」とは政府の方針に従うことを意味します。それ以外は、いかに国を愛していようと「愛国」ではなく、場合によっては「非国民」として疎外されてしまうことになりかねません。事実、戦前や戦中には、そうしたロジックで差別、迫害、排除が行われたのです。皆さんが愛する「国」とは何なのか。日本列島の自然か、そこに暮らす人々の社会か、文化か、それとも国民国家というシステムでしょうか。国民国家は往々にして、このあたりのことをオブラートにくるんでわざわざ曖昧にし、国民に誤解をさせることで統合を目指そうとします。その結果、例えば実際の過去の社会・文化が破壊されたりしてしまう弊害が非常に多いので(まさに日本の近代がそうでした)、歴史学的には批判的に扱わざるをえない面があります。また、現在の国民国家は、グローバルな情報社会のなかで、ある意味でアイデンティティ・クライシスを迎えており、それでも自らのナショナル・アイデンティティーを執拗に守り情報を管理・統制してゆくか、世界に開いてコスモポリタンなものへ近づけてゆくかに二極化しつつあります。果たして前者に未来があるかどうか、そうした国家で生活したいかどうか、逆に皆さんに質問したいものです。