江戸時代、一律の教育がなかったため、階層によって歴史観が違っていたということですが、実際は士農工商間でどれくらいの違いがありますか? 士と農に大きな差があることは予想できますが、農と工と商にどのくらいの差があるのか、想像できませんでした。

士農工商が身分を表すという教科書的記述は、現在では否定されていますね。これはもともとの中国の言葉と同じく、基本的生業を列ね、総合的に「人民」を指示しているに過ぎません。よって、日本では武士を表す「士」のみが支配階級として突出しており、あとは階層・階級としてあまり差がないことになります。ただし、商人はその生業の性格上学問をする必要も相対的に高く、知識階級としては武士に近接するものがあったので、とくに経済的地位の高いものは、農民や職人とは一線を画していたと考えられます。農民のほうも、名主や庄屋といった管理階級の人々には、同様の傾向が認められます。そのうえで、人々の暮らしている場所が都市に近いか、あるいは遠く山深い地域にあるか、そうして列島のなかで大まかにどの地域に位置するか等々によっても、ずいぶん大きな相違が出てくる。非常に大雑把な話をすると、例えば土佐国高知県)においては、武士階級は関ヶ原以降に入国した山内家家臣であり、郷士や庶民にはそれ以前に土佐にあった長宗我部家の家臣の者、それに愛着を覚える人々も多くありました。よってここでは、徳川将軍家を完全に肯定する歴史観を持つか、あるいは従属しつつも幕府への忠誠を相対化しうる歴史観を持つか、といった相違が生まれ、それが幕末期、各階層における倒幕運動への関わり方の差異になって表面化してくるわけです。