民間史学は、アカデミズムを批判していたのだと思いますが、のちの実証主義のように排斥されなかったのでしょうか?

近代日本の筆禍事件をみてみますと、たいていは社会が過敏に反応して特定の人物の集中攻撃を始め、それを追認する形で国家権力による処分が行われる形が多いようです。実証主義史学は、それまで一般的であった歴史観を攻撃的に排除したため、そのしっぺ返しを受けたと考えることもできます。民間史学は、むしろそうした一般大衆に強固であった歴史観を体現するものだったので、実証主義からは攻撃されたものの、社会的あるいは国家的に排斥されることはなかったといえるでしょう。