国家という枠組みを超えて移動しようとする移民などは、環境文化のなかではどのように捉えられるのだろうか?

授業でも触れたジェームズ・スコットが言及している、ゾミアの人々などはまさに「国家の枠組みを超えて移動」しています。ぼくも論文を書いたことがあるのですが、例えば後漢の時代から中華王朝に言及されるヤオ族などは、もともと西南地域の四川省貴州省などに蟠踞していましたが、さらに南下を続け、現在ではタイなど東南アジアにまで至っています。焼畑を繰り返すのみならば小規模な移動で済みますので、これにはやはり領域国家の追及などといった事態があり、それら大集団との軋轢を回避する意味があったのでしょう。彼らの保持する伝承、文書によれば、大集団が海を渡って、海路沿いに南下してきたと伝えるものもあります。国民国家の境界などは主に近代以降のものですので、もともと移動性を重んじていた人々にとっては、(暴力的な禁止を伴わない限り)さほど障碍になるようなことはなかったのでしょう。