熊の義兄、熊となった姉も殺してしまうナーナイの話は、何を教訓とするものか確信が持てませんでした。

紹介した伝承は、物語の筋のほうは、かなり錯綜して複雑になっています。恐らく、話者が他者に語る際に、さまざまに尾ひれや要素の拡大・縮小が行われることで、多様に変化をしたものでしょう。しかし、類似の事例を多く収集してみますと、これが熊と人との同族関係を示す神話であり、しかもその同族を殺す狩猟に負債感・罪悪感が表明されていることなどが分かります。自分たちが対峙する熊は、同族であるために無闇に殺してよいものではない、また狩猟とは本質的には同族の殺し合いであり、それゆえに生きるための、必要最小限の殺生でよいのだという考え方です。北方狩猟採集民には、現実的には、熊皮や熊掌、熊胆などがギフト、もしくは交易品として重視されていたので、逆にこのような「規制の神話」が構築されていったのだと考えられます。