農耕原罪論の「原罪」も「負債」ということでしょうか。地球から土地や種、肥料を借り入れて借財を作っているうちに、最後は破産するという暗示でしょうか。

面白いですねえ。厳密に定義すると、負債観の問題は、返済の意識を発動することが伴います。返済はたいていの場合、何らかの形で自然環境を表象する神格に、祭祀をなす形で果たされます。原罪認識自体も広い意味では負債感だと思うのですが、自らの存在を贈与してくれたような神格(造物主)に対し、現在を決定づけるような背信をなしたという罪悪感を抱くことを意味します。よって農耕原罪論は、農耕をすることが造物主への背信になるという意識、あるいは農耕が背信行為の結果として始まることを指すわけです。「殺された女神」も「失楽園」も「カインとアベル」も、そうした意味でみな農耕原罪論です。原罪は現在の自分と世界を規定付けるものですから、そもそも払拭できる性質のものではありません。世界が変革されてユートピアに復帰しない限り、罪悪感が解消されることはないのです。農耕原罪論の場合も、地球と人間が狩猟採集時代に回帰しなければ、救済はないということなのかもしれません。