『文明の生態史観』などを通じ、戦後に脱亜的意識が勃興してくるのが驚きでした。それともこの風潮は、明治維新からあって、言葉として残されたのが敗戦後ということでしょうか? / 『文明の生態史観』は、戦勝国であるアメリカを完全に無視していると思うのですが、アメリカから批判はなかったのでしょうか。

『文明の生態史観』の世界図にアメリカが入っていないのは、アメリカ文明=西ヨーロッパ文明との認識があるためです。アメリカにおいて支配階級にあった白人たちも同様の認識を持っていたため、その点自体にアメリカとしての批判が出ることはありませんでした。しかし、それがアフリカやネイティヴ・アメリカン(インディアン)の人々、文化をまったく排除して成り立っていることは確かで、極めて差別的であることに違いはありません。また、脱亜論的な見方は、日本史研究・教育の枠組みを説明した際にもお話ししたように、明治の近代化のなかで生じてくるものです。アジアに対する差別的な視線は、敗戦によっても修正されなかったといえます。