宇多天皇の「猫かわいがり」が面白かったです。該当する史料を載せてください。また、唐猫は現在のイエネコと同種でしょうか。

まず唐猫ですが、和猫が尻尾が短く曲がっているのに対し、下記の文献にもあるとおり、長い尾が特徴です。現代の分布調査でも、尾の長い唐猫は京都を中心に分布し、その他の地域には尾の短い和猫が多く分布していることが分かっています。しかし、実際のところ、「和種」とされるものがどのような形態で平安時代以前に存在したのかは、史料もなく明確には判明していません(野山に多少の在来種は存在していたと思われるのですが…)。また、近代のペスト対策のため、鼠を駆除すべく猫の飼育が奨励され、尾の長い猫が多く世間に放たれてから、分布状況はかなり攪乱し、また尾の短い和猫が少なくなってしまっているのが現状です。なお、宇多天皇の猫記事、以下に現代語訳を載せておきます。『宇多天皇御記』寛平元年(889)2月6日条……私は、少し暇があったので、飼っている猫のことを記しておいた。黒猫一匹。太宰少弐源精が任期満了となった折、朝廷に出仕して先帝(父:光孝天皇)に献上したものである。(先帝は、)その毛の色が類い希であるのを愛された。他の猫はみな浅黒い色だったが、この猫だけは、墨のような深い黒猫であった。その姿形の抜群なことは、春秋韓の名犬韓盧に似ている。身の丈は長尺の五寸ほどで、高さは六寸ばかり。体を屈めると、その小さなことは黍の粒のようであり、体を伸ばすと、その長いことは弓を張ったときのようである。眼が澄んできらめき光っている様子は、針を散らしたときのようであり、耳がまっすぐに立っている様子は、匙の上でもまったく揺るがないようだ。その伏して横になっているときは、円くなって尾も足もみえず、まるで堀のなかに隠された玄璧のようである。その歩みゆくときは、静かでまったく音がせず、まるで雲の上の黒龍のようである。散歩を好む性質で、その姿は虎・鹿・熊・猿・鳥の五種の禽獣を思わせる。常に頭を低くして尾を地に着け、背筋をそびやかすと高さが二尺ほどにもなる。毛の色の滑らかなのは、この動作によるのだろうか。また夜によく鼠を捕り、他の猫によりも敏捷である。先帝は、数日の間愛翫なさってから、この猫を私に下さった。私は今に至るまで五年の間、可愛がって育て、毎朝乳粥を食べさせている。この猫は、ただすばしこいことに才能があるだけではない。本当に先帝が下さったのだから、小さなものとはいってもとくに心をかけ、懐に入れて育んできたのだ。よってその猫に、「お前は陰陽の気によって、四肢・七竅ある形をなしている。さらに心が必ずあるなら、どのように私を知覚しているのか」と訊いてみた。すると猫は溜息をついて首を挙げ、私の顔を仰ぎ睨んでいたが、それは心が咽につかえて話すことのできないようであった。