天皇が徐々に人の目に触れなくなった結果、その神聖性が強まったという解釈で合っているでしょうか? / 天皇を描くタブーが解消されたのはいつのことですか?

そうですね、これは幼帝の出現によって天皇が政務の場から遠離ってゆくこととも関係があるのですが、地方への行幸はもちろん、あまり公の場へ姿を現さなくなってゆき、内裏の奥へ隠れた/隠された存在となってゆくわけです。その過程で、「みえない」ことによる神聖性の増大が生じてゆきます。このようなあり方が改められるのは、明治維新を待たねばなりません。明治天皇の「ご真影」は教育現場に下賜され、奉安殿に『教育勅語』とともに安置されて、崇拝の対象になります。その取り扱い方によっては(誤って焼失してしまうなど)、校長が責任を取って割腹自殺する事件も起きました。しかし一方で、皇室の写真はブロマイドなどを通じて一般に流通もしており、両者の大きな差異が何によるものなのかは未だ議論の途上にあるといえます。