上下関係をはっきりと峻別する儒教に対して、鳥の声を聴こうとする鳥情占などは、中国思想にどのような影響を与えたのでしょうか。

儒教東洋史のみでしか中国の歴史・文化に触れることができない一般の日本人にとって、中国は漢文化中心の国にみえますが、必ずしもそうではありません。現在の中国が、広汎な地域のそれぞれによって異なる言語・文化・心性を持ち、また階層によっても感じ方・考え方を大きく異にするように、王や皇帝の権力が隅々まで行き渡らなかった前近代の中国では、そうした差異がより大きかったと推測することができます。中国が一枚岩であったことなど、紀元前から現在に至るまで一度もなかったと考えるべきでしょう。よって、儒教の思想も道教の思想も、その多様な社会・文化の一面を伝えているにすぎません。鳥の声を言葉として聴こうとする感性は、そうした多様性の反映であり、発現であると位置づけることができます。それらは地域や社会の周縁から顔を覗かせ、中央の支配的な言説・思考を組み換え、ときに新たな次元を準備するのに貢献したといえるのではないでしょうか。