鳥を介して天の声を受け取るのならば、その逆、鳥を介して人の意志を天に届けることはなかったのでしょうか。

ありそうですね。個々人の呪術的実践ならば、いま思いつかないのですが、ありえたことだろうと思います。例えば東アジアから東南アジアにかけて分布する穀物起源神話には、鳥が天のクラから穀物を盗み出し、人間に与えるという形式のものがあります。鳥は地域によって多種多様ですが、日本列島の場合には鶴が圧倒的に多い。弥生時代の農耕祭祀の祭具である銅鐸には、水田稲作に関係する絵柄が鋳出されていますが、そのなかにもツル、もしくはサギの、長頸・長脚の鳥が描かれています。鳥が、天/人の間を連絡する存在だという観念があったのは確かでしょう。しかし、中華王朝の国家祭祀の対象としての天は、もっと至上の存在で、もともとは人間による祭祀さえ受け付けないものでした。意志の疎通が図れないほどに、至高のものと位置づけられていたわけです。よって、中華王朝の国家祭祀で鳥を仲立ちにするようなものは、存在しなかったのではないかと思います。