陰陽師は、けっきょく日本のオリジナルではない、と証明されたのでしょうか。

実は、授業で扱った敦煌文書(S.4400「太平興国九年二月廿一日帰義軍節度使曹延禄醮奠文」)が、未だ日本の陰陽道研究ではしっかりと位置づけられていないのです。日本の陰陽師が用いた知識・技術が、漢籍をもとに日本で発展したものであることは確かなので、2つは完全にイコールではありません。しかし、敦煌文書にみられるそれが、百怪図などをもとに怪異を占断していることは確実なので、この中国における陰陽師がどこまで遡ることができ、具体的にどのような知識・技術を持ち何を担っていたのか、今後大いに問われなければならないだろうと思います。