当時の人々は、どこまで「日本」や「天皇」への帰属意識があったのでしょうか。「日本人」という自覚はあったのでしょうか。

中世においては、例えば仏教による三国伝来史観(仏教が天竺、中国、日本と伝来し、日本こそが仏教の最終目的地であるとする考え方)、元寇など対外的脅威による神国思想によって、古代に比べ、比較的広い階層に「統一的な日本のイメージ」が定着し始めたといえるでしょう。しかしそれは、誰によって支配されているのか(統治されているのか)という感覚や、どこからどこまでが日本の領域なのかといった国土意識が曖昧な点で、現在の国民国家的な国家観とは大きく異なっていたといえます。各地域では、一般的に階層が低ければ低いほど、天皇や将軍など未知の広域権力者より、土豪や守護などの在地領主層への帰属意識が強かったものと考えられます。南北朝の動乱のなかで諸勢力に従った下層の武士たちは、勢力のトップではなく、自らの利益や生存に直結する身近な権力者の帰趨に従ったものと想定できるでしょう。