明の定めた律令、礼法などに規定されているものですが、禅僧が外交使節として活躍していた時代にあって、やはり明と交渉のある禅僧らに協力を求めた可能性が高いでしょう。文化が伝播・定着を繰り返すなかで文字レベルで認識が変化することは、往々にしてありうることと思います。ただし、前近代においては漢語・漢文が東アジアの共通語であり、外交や交易に従事する人々は、最新の知識を共有していたはずです(でないと仕事にならない)。外交の正式な文書などは常に一定の形式があるものなので、それに準拠してやりとりがなされるのが原則的には正しいあり方なのです。