足利義満は「准三后という称号を与えられ、対明の国書にも使用していますが、これはそもそも皇后などの女性に与えられる称号です。藤原良房も、かつて同じ称号をもらったといいますが、なぜ女性の称号なのでしょうか。

三后は准三宮ともいい、太皇太后・皇太后・皇后の三宮(三后)に准じて、皇族・公卿・僧侶らへ年官・年爵・封戸などを与え、経済的に優遇することをいいます。実は、貞観13年(871)に摂政藤原良房が、年官・随身兵仗・封戸を三宮に准じて賜与されたのが初例なので、「本来女性に与えられるもの」ではありません。良房は、嵯峨天皇の皇女源潔姫を妻に迎え、宮廷社会において、ほぼ皇族の一員であるかのような位置づけを得ていました。その地位を社会的・経済的制度の面で明確に保証したのが、「准三宮」であったわけです。すなわち、皇太子は天皇の後嗣であるため(また上皇も)特別なポジションとして除くとしても、皇族の最高位に位置し、場合によっては天皇を補佐、その不在時に政務を統括しうる太皇太后・皇太后・皇后に準じる地位というのは、親王内親王以上を意味しており、特段女性であることに力点が置かれているわけではないのです。