『竹取物語』と『斑竹姑娘』、なぜ後者はハッピーエンドなのでしょう?

これは一概にはいえないことなのですが、私は異界と人間との交流を描く物語のうち、ハッピー・エンドを持つものは成立が新しいのではないか、あるいはかつてバッド・エンドであったものが変質したのではないかと考えています。なぜ悲劇的な結末に至るのかといえば、それは異界/人間界の隔絶が自覚されているためで、悲劇によってそのことを再認識させ、異界への崇敬を惹起させるとともに、安易に関わってはならないという禁忌を強いるためです。人間存在の卑小さを痛感させる機能も持ちます。しかし、時代が経過するとともにその認識は薄れ、あるいは必要性を失い、人間性、人間的部分の全面的肯定が進むと、ハッピー・エンドが求められるようになるのでしょう。