ギリシャ神話のヒュアキントス、中国『長恨歌』の連理の枝など、神話の悲劇において樹木に化身することを最終的な救いと描くのは、どのような意味があるのだろうか?

ケース・バイ・ケースでしょうが、やはり授業でお話しした、樹木の持つ「永遠性」が強調されるということでしょうね。しかし、ヒュアキントスの場合はもともと植物神であったものが、文芸的な神話の段階において悲劇の主人公に位置づけられたもので、『長恨歌』の木連理は、もともと祥瑞として位置づけられていたものの譬喩的援用です。