かなり昔から人間によって自然に手が加えられていたことが、研究によって分かっている。このような事実を与えられると、「人間が手を加えない自然こそが良い」というイメージを押しつけられているように感じるが、果たしてそれは正しいのだろうか。

このあたり難しく、また微妙な問題です。手つかずの自然を至上とみなす考え方をピュアイズムといいますが、これは質問者の意見と同様、さまざまに批判されています。ただし、前回お話ししたアンスロポセンの問題を考えると、人類の活動が自然環境の回復能力を凌駕してしまっていることは確かなので、人類とそれをとりまく生態系とのバランスがとれなくなってきていることは看過できません。ピュアイズム批判は、「人間の手が加わっている自然こそ多様性が増し、豊かになる」というヒト至上主義的言説に利用されてしまいがちなので、注意が必要です。「我々のいまの生活があるのは過去の自然破壊があったからだ」との見解もよく目にしますが、そうした経緯を辿らず現在に至っている人間集団も存在するので、自分たちの国の歴史を正当化する意外の意味は持ちえません。自然破壊を戦争に置き換えれば、戦争を肯定する言説になってしまいます。四谷からも近い明治神宮の森は、明治に基本的設計をして植林して以降、ほぼ人間の手を加えず自然の遷移に任せる実験を行ってきた場所ですが、原生林に迫るような生物多様性を回復していることが確認されています。当たり前のことですが、自然は「手つかず」でも成立しうる。そこに人間が介入するのは人間の利益のために過ぎないので、いろいろ理由をつけて肯定しよう、正当化しようと思うのがそもそもの間違いです。人間が生存するためにどれだけのことが許されるのか、どう自然環境とバランスを保ってゆくことができるのか、自らを批判し相対化しつつ、考え行動してゆくしかありません。