仏像においての体骨柱は、宗教的意義もあるかもしれませんが、第一には技術的要因ではないでしょうか?

もちろん、その存在は構造的必要性からです。しかし問題はその点ではなく、授業でもお話ししたように、「体骨柱を立てる」ことが特質的に扱われ、恐らくは何らかの儀礼がなされていることです。当時はあれほど巨大な銅造仏像の先例がなかったため、造立過程のポイントポイントでなされた儀礼は、金堂や仏塔などのそれに準拠して行われたものと考えられます。現存する列島最古の仏教説話集『日本霊異記』には、廃寺に泊まった僧侶が夜中にうめき声を聞き、打ち捨てられた塔の芯柱について、「塔霊が騒いでいるのか」と疑う場面が出てきます。8世紀の神社建築に関する祭儀を詳細に記した『皇大神宮儀式帳』によれば、神社建築の中心ともいうべき心御柱は、杣山の入り口、伐るべき樹木の前、立てるべき地において、何度も丁重な祭儀を繰り返し経験し、樹木から柱へ変わってゆきます。そのなかで、樹木に宿った樹霊は、正殿の守護神へと転換してゆくのでしょう。仏教建築の場合も大枠はこれに準拠しており、塔霊が形成されるものと考えられます。大仏の体骨柱も、同じように、霊的に扱われたものとみられます。