縄文時代の環状柱列や巨大柱列が古墳時代で途絶えてしまうのは、なぜだろう。稲へのトーテミズムと、宇宙樹・世界樹への信仰は両立しないものなのだろうか?

信仰の表層的形式は変わってゆきますが、その構造は概ね維持されると考えられるかもしれません。古い時代の巨樹信仰、柱列信仰は、一部には、諏訪の御柱祭をはじめとして、各地の寺社などに存する神木信仰として残存しています。伊勢神宮心御柱など、神社建築には多く祭祀上重要な柱が存在し、寺院の金堂の柱列や塔の芯柱などにも類似のメンタリティーが見て取れます。一般家屋にも大黒柱信仰が存在し、かつて家宅とともに代表的木造建築物であった船舶にも、帆柱に対する祭儀が存在しました。宇宙樹や世界樹に対する信仰、樹木トーテムの表現は、表層的には稲トーテムの神事にとってかわられていますが、授業でもお話ししたとおり、根本的に潰えてしまったわけではないと考えられます。