国家の誕生はある意味で必然的な出来事であり、失敗と捉えることはいまひとつ納得ができません。 / 中国西南少数民族などは生活している環境が悪く、物質的条件が整わなかったから国家化していないのではないか。

現在の歴史学や、社会学文化人類学など、国家の形成過程を扱っている人文・社会系の科学のなかで、資本主義の形成を最良の到達点・必然的結果と考えている研究者がほとんどいないのと同様に、国家の形成を必然的と考えている研究者もまたほとんどいません。世界の歴史過程を詳細に分析してみても、国家の形成は諸地域・諸民族において必然的には生じていませんし、かなり選択的かつ流動的な現象で、国家を構築した地域集団・民族集団が、その後これを放棄して顧みなくなった事例も複数確認できるからです。中国の漢民族的な歴史観のなかでは、農耕社会の充実によって国家化するプロセスを、日本と同様にある程度必然的なものと考えていますが、それでは例えばモンゴルのような事例はどう説明するのでしょうか。中国の某人類学者が筆名で書き、世界的なベストセラーとなった『狼図騰』は、文化大革命期のモンゴル族エスノグラフィーとしても質の高いものですが、そこでは漢民族下放青年であった主人公が、モンゴル族との共同生活を通じて、漢民族歴史観の虚構に気づいてゆくさまが描かれています。このようなフィールド経験は、多くの人類学者や歴史学者が味わうもので、国民国家イデオロギーを客観化するためには必要なもののひとつかもしれません。マルクスの同時代には、アナーキズムの理論的根拠を構築してゆくバクーニンクロポトキンが、シベリア先住民の調査と同地における施策を通じて、近代国家のシステムに疑問を抱くようになりました。レヴィ=ストロースには南米経験、ブルデューにはアルジェリアでの経験が、自分の属している政治・社会・経済のあり方を批判する重要な契機をなしていたわけです。中国人の留学生のなかには、西南少数民族は環境が充分ではなく…といった感想もみられましたが、例えば彼らは同一の環境下で、イ族は南詔国を、ペー族は大理国を建国しています。そして現在の彼らの情況は、歴史過程をみるに、大国領域国家の圧力・迫害だけではなく、彼らが主体的に選択した生活様式なのです。また日本のアイヌは、近世初期の段階で複雑な交易ネットワークを構築し、周辺の領域国家と情報・物資のやり取りをしていました。歴史学者の間では、いつ国家を作ってもおかしくない条件を整えていたのに、そうしなかった事例と考えられ、なぜ国家化しなかったのか活発に議論されています。それらのどれをとってみても、「国家形成は必然」とする根拠は何もありませんし、逆にそう発言することは、国家形成以外の選択肢や可能性を否定する、国家主義的な態度の表明になってしまうのです。