土器の装飾や形の変化は、何が要因となったのでしょうか。スパンが長いとはいえ、作りが大きく変わっているのはなぜでしょうか。 土器の型式変遷について、東日本と西日本で明確に相違が出てくるのはなぜでしょうか。

上で述べたように、土器の文様や形式は、その時代、その地域集団の思想を表現したものです。よって、その形式がある範囲で共有されているならば、それは一定の思想・思考様式を共有している地域ということになり、相違があるならば思想・思考様式が相違していると考えることができます。西日本・東日本の相違の場合、前回お話ししたような植生の相違を前提に、衣食住の生活文化が異なり、そのうちに胚胎する考え方や感じ方、心性・感性が相違した結果なのだとみられます。時代が移り変わり、気候が変動し、環境が変異し、生活様式が変わることによって、人々の心性・感性も変わり、土器の様式にも変化がみられるようになってゆくのではないでしょうか。