前期、史学科の授業を受けても感じたことですが、史学科はとてもイメージ想像力が求められ、仮説が多く、メルヘンというかフワフワに感じるのは、「おそらく」の言葉は生むのでしょうか。話がきれいすぎて、逆に本当にそうなのか?と不安になります。

いやー、メルヘンやロマンを伴うものとしてお話ししたつもりは全然ないのですが…前近代の思考様式は近代以降のものとは違うので、現代人からみるとファンタジーに映ってしまうのかもしれません。しかし、彼らにとって、それがひとつの現実であることも確かです。かつて文化人類学では、現代の残るこのような民族世界の神話・信仰を、文化相対主義によって理解していました。ヨーロッパ近代とは異なる文化のあり方を、多様性において認めようとする考え方です。しかし現在では、それもヨーロッパ中心主義に基づく視線に過ぎず、彼らの宇宙観を実在として認める必要があるのではないか、という議論が大きな潮流を作りつつあります。また、「恐らく」という言葉を使うのは、現代歴史学実証主義の事実信仰と戦ってきた結果です。すなわち、歴史とは常に現代の視点から作られた構築物であって、過去そのもの=唯一普遍の事実ではない。ぼくらはそのなかで、できる限りの調査・研究を重ね、可能な限り蓋然性の高い仮説を〈新たな可能性〉として提示するに過ぎません。また、話がきれい過ぎて…というのは、授業でお話しする関係上、メインストリームに限定して講義をしているからでしょう。それでも、そのストーリーが一筋縄ではゆかないことは、授業中にも、またプリントに掲げたたくさんの史料のなかにも、示してあるつもりです。社会は常に単線的には変化しません。多様な価値観を持った人びとが、自然環境、政治・社会・経済的諸関係のなかで、さらに多様な実践をなし、それらが複雑に絡まりあって展開してゆきます。