弥生時代の開始期に、朝鮮半島から日本列島に来た人びとは、どのようにして列島在住の人びととコミュニケーションを取っていたのでしょうか? / どのような手段で半島まで行っていたのでしょう。言語は通じたのですか? / 弥生と縄文との間で争いはなかったのですか?

授業でもお話ししたように、縄文の段階から、北方や南方より、多くの人びとが海を渡って断続的に列島に入ってきています。時期を選び、対馬壱岐沖ノ島などを伝って移動してくれば、丸木船のようなものでも半島との間を往復できるのです。また、玄界灘沿岸地域や中国地方・北陸地方の沿岸部には、半島との交流を示す遺物・遺跡が幾つも発見されており、移住者もいたはずで、お互いの言語を話せる人間も一定数存在したと考えられます。そもそも、言葉が通じなくともコミュニケーションが成り立つことは、世界史のなかでは当たり前に確認できます。原初的な段階では、例えば沈黙交易のような方法で、半島から移住してきた人びとと周辺の在来民とのコミュニケーションが行われたと考えられます。現行の「本州」列島人のDNAを分析すると、縄文人弥生人塩基配列がそれぞれ確認され、われわれ自身が、両者が平和裏に交配していった証拠であることが分かります。北九州でも、渡来系弥生人の集落と在来民の集落との間に通婚が確認されたり(前者の墓域から、後者の甕棺に埋葬された女性の遺体が発掘されている)、両文化で用いている土器形式の融合したものがみつかっており、紛争どころか、融和的交渉の証拠が多く確認できるのです。