吉野ヶ里と池上曽根の集落としての相違には、気候的な相違も関係するのでしょうか?

大きな枠組みでいえば、それもありえます。弥生早・前期は寒冷な時期ですから、とくに東日本地域について、稲作の浸透が滞った原因のひとつに推定されます。半島的な吉野ヶ里の社会・文化と、縄文的な池上曽根の社会・文化の相違は、もともとは縄文期の地域的差違が大きかったにせよ、灌漑稲作に付随する文化の伝わりにくさにおいて、気候が多かれ少なかれ作用していることは否定できません。