西洋と比較すると、農耕において蝗を悪魔とする描写がありますが、神格化とは異なり、ただ怖れる対象であったようです。 / 「害獣」が神聖視もされるという考え方はとても面白いです。そうした考え方は自然の恵みに感謝する精神に基づくのですか? / 害獣としての鹿をなぜ信仰するようになったのか、いまひとつピンとこなかった。駆除するとき、どうして建前を必要としたのだろうか?

「害獣」という考え方自体が、ヒト至上主義に立ったいいかたになっているわけです。例えば現在でも多くの狩猟採集民は、人間をも襲いうる肉食獣を「害獣」とは捉えず、ともに自然環境にあって食物を獲得するため、競合している存在と考えます。遊牧をなすモンゴルにおいては、オオカミと人は牧畜をめぐり、時には殺し合うようにして長い歴史を経てきましたが、モンゴル民族にとってオオカミはトーテムであり、死後は彼らに食べられなければ天国へ登れないと観念してきました。弥生時代における鹿も、恐らくは類似の位置づけでしょう。授業で紹介した『風土記』のように鹿が苗を食べに来たり、草を消化できない猪が穀類を食べに来て、水田周辺には賑やかな情景がみられたことでしょう。上記の心性は、そうした多種のアクターが交錯する場において醸成されてきたのかもしれません。「害獣」の駆除や狩猟に際し、それをあえて正当化するかのような神話や伝承が存在するのは、こうした一種の共生感覚が、殺生について後ろめたさや罪悪感を生むためです。以降列島では、仏教による殺生罪業観の普及も相俟って、狩猟を含む殺生が長くマイナス価値を付されてゆくことになります。