鹿の角に神秘性を見出していたならば、弥生の人びとは、鹿の角を用いた呪術などはしていなかったのでしょうか?

残念ながら、鹿角そのものを使った呪術なり、祭儀なりの遺構・遺物は発見されていません。しかし、鹿角は中国大陸から西域にかけて、再生の象徴として多くの図像を残しています。日本でもその生え替わりが、稲作のサイクルと重複視されたことは間違いありません。鹿角を材料とした武器や装身具は多くみつかっているので、人びとは鹿角の再生の力を身に付け、また道具として活かすことを考えていたようです。ちなみに、鹿の肩甲骨を焼灼し、生じた亀裂で吉凶を占う熱卜(鹿卜、列島では太占という)は、中国の中原地方で牛骨や亀甲を主要な材料とするようになっても、山東半島を中心に維持されてきました。朝鮮半島や列島の弥生時代もその範疇に属し、鳥取県日本海岸に位置する交易拠点・青谷上寺地遺跡では、200点にも及ぶ鹿の卜骨が出土しています。この背景にも、鹿に対する強い信仰が窺われます。