動物表象に関する考察などはいろいろな説があるとのことですが、それらの正当性をはかるにはどのような基準があるのでしょうか。

検証しうる材料はとことん動員して仮説が提示されてゆきます。例えば、授業でもお話しした銅鐸の長頸・長脚鳥の種の同定が典型的です。この議論は、大林太良氏の穂落神神話(穀物起源を穂落神=鳥の飛来によって説明するもの)に関する研究を援用し、春成秀爾氏が、銅鐸の鳥=穂落神の鶴と特定したのが始まりでした。列島に残る神話では(古代には残っておらず、中世神話なのですが)、穂落神はほぼ鶴(真鶴)だからです。しかしその後、銅鐸の鳥が魚を咥えていることなどに注目した根木修氏が、
a)銅鐸に描かれるのは水田の風景であり、これも川と直結し魚が入って来ていた、弥生時代の水田でみられた情景である。
b)長頸鳥が飲み込めるような淡水魚で、銅鐸に描かれるような高さのあるものは、フナかコイの幼魚である。
c)フナやコイは春に産卵し、夏には浅瀬に幼魚がよくみられるようになる。
d)銅鐸の長頸鳥が咥えているのはこの幼魚とみられるので、長頸鳥は夏鳥の鷺である。
との推測を導き出しました。説得力のある見解です。しかしまた続いて賀来孝代氏が、瓜生堂の土器絵画に稲穂らしきものを咥えた鳥を見出し、弥生の絵画には鶴も鷺もおり、情況に応じて判断すべきだとする見解を提示しています。史資料から得られる情報を網羅的に分析し、生物学や生態学の知見も援用して、鶴なのか、鷺なのか、あるいは別のコウノトリなどなのかを、徹底的に検証する作業が行われたわけです。確かに、もともとの史資料自体に不確定要素が大きいので、提示される見解も仮説に止まるものが少なくありません。しかし、たとえ不正確ではあっても、そうした推測・議論の積み重ねが、新たな理路や成果を生み出すことに繋がっており、学問を展開させてゆくことになるのです。