秦の始皇帝が派遣した徐福が日本に辿り着いていた場合、文明の発展の仕方について何か影響を与えたのではないでしょうか。朝鮮半島を通って北九州に到着したと考えるのが適当ですか?

徐福という人物が東海に船出したのは事実かも知れませんが、彼が日本へ到着したという記述は『史記』にはなく、10世紀に至ってようやく現れるもので、列島各地の伝説もそれ以降に生じたものと考えられます。そもそも、徐福が日本列島を目指した、日本に到着したこと自体が検証できませんので、北九州に到着したか、あるいは別の地域かということも、考古学・歴史学では検討対象にしていません。ただし、徐福が日本へ到着したという「言説」は、日本を秦の始皇帝との関係で「神話」化するうえで意味がありましたし、神仙世界ともいいうる「扶桑」なのだ、と位置づけることの一助にもなりました。いずれも平安期以降のことですが、列島に暮らす人びと(とくに知識人層)の、中国や半島に対するコンプレックスを和らげる効果はあったのだろうと思います。