鳥への信仰と女性への信仰は同一視されていたのでしょうか?

鳥装の人物を女性シャーマンとみるにしても、それが女性信仰と一体であるとは必ずしもいえません。そもそも、女性を信仰していた様子が、弥生時代の社会・文化からは、痕跡としてあまり出てこない。縄文時代に比べ、土偶(大地母神?)に類する形での女性性の信仰は、どうやら衰えていたようです。近畿以東の世界でも、土偶を継承する人物像は出土するのですが、男女一対のペアになっている場合が多い。土器絵画などの女性像も、縄文期のように乳房や臀部、生殖器を強調する事例がほとんどなく、男性よりも小さく表現されたり、男性を顔を○で、女性は△でといった、相対的図式化が多くなってゆきます。例えば、縄文期のように狩猟/採集と性別分業が明確に分けられるのではなく、稲作農耕という同じ生業に協働して従事してゆくなかで、性に対する考え方自体が大きく変質してきたのだと思われます。