青銅器について、発掘されたイメージでみてはいけないのは当然だが、しかしそもそも、金色に輝くものをありがたがる精神性は、当時にあったのだろうか?

はい、もちろんそのとおりですね。その点、確かに検証が必要です。しかし、輝くものが重視されたかどうかを、検証するのは難しい。古代においては、輝くもの自体が少ないからです。しかし、太陽が信仰されたのは、世界的にかなり普遍性のある事実でしょう。古墳時代の祭具のひとつとなる青銅鏡は、もともとは太陽を模したものであり、太陽の輝きを反射する形で祭祀をなしたものと推測されています。それゆえに、太陽神アマテラスの神体にもなってゆくわけです。弥生時代の青銅器も、農耕が主要産業化することで太陽が重要視された結果、その光を反射し体現する青銅器が、神聖なものと位置づけられたのではないでしょうか。