青銅器祭祀について、衰退期に埋めたり壊したりする理由は何ですか?

10年程度前までは、例えば神庭荒神谷など、出雲における平型銅剣・銅鐸の大量埋納は、どれだけ質の高い青銅器をどれだけ大量に埋納できるかという、首長の権威を示すための蕩尽・競争儀礼だったのではないかと説明していました。しかし近年では、授業で扱ったような北九州・中国・近畿以東の社会の相違が明確になってきたこと、出雲地域などが急速に墳墓祭祀へ移行することなどから、埋納は放棄ではないかとの意見が強くなってきたように思います。もともとは神聖なもので、恐らくは稲作関係の祭儀を行ったのでしょうから、使用しなくなることで大地に返却した、ということなのかもしれません。一方の纒向遺跡の銅鐸破砕は、共同体の祭祀から王の祭祀へと移行したとき、王が共同体の力を否定するデモンストレーションとして、そのシンボルを破壊したのだと考えることができるでしょう。