祖先を崇める、かつては人間だったものを崇めるという考えは、東アジアに特有のものなのでしょうか?

祖先もしくは祖霊を崇拝する信仰形態は、もともと、人類にとってはそれなりに普遍性があったと思われます。アフリカや南米、北方などの民族社会においては、例えば歴史叙述も父祖の物語として、70代遡るような口頭伝承が存在します。東アジアにおいては、原始的な祖先崇拝を体系化した儒教が長く力を持ち、それらと習合した仏教が死者供養の役割を果たしてきたので、特徴的に祖先・祖霊・先祖に対する信仰が維持されてきました。ヨーロッパではそれらはキリスト教によって否定されますが、しかし父系の系譜意識が強い階級、民族集団ではやはり祖先・先祖への尊崇が強いですし、当然のことながら死者ひとりひとりを無礙に扱うということもありません。そもそも宗教学的にみれば、キリスト教ユダヤ教から転じた、(教学的にはさまざま説明の仕方がありますが)イエスという人間を祀る宗教形態であったわけです。人間だったものを崇める風潮が、東アジアに特有であったわけではありません。