卑弥呼が女王として登場したあと、争いが終息したというところが腑に落ちません。シャーマニズム的な方法で争いを止めたのか、武力で国内を平定したのか気になります。

そうですね。しかし、実際にヤマト王権が成立したのは、全国的な戦乱の結果ではなく、利害調整を行う王権が必要とされたためと考えられています。武力でねじ伏せ、従属させるような統一がなされなかったからこそ、当初のヤマト王権畿内豪族を中心に各地の政治勢力が結びつく連合政権であり、それぞれがそれなりに自律的な力を維持していたわけです。卑弥呼は固有名詞ではなくヒノミコ、恐らく「日の御子」という王の称号と思われますが、この人物は倭国大乱の終息期、お互いがお互いを殲滅し共倒れになる危機に直面した政治勢力によって、その調整役として冊立されたのだと考えられます。そうした統合においては、武力以上に、神霊の意志を代弁する能力が必要であったのでしょう。