古墳の形式や桃の種などについて、なぜ中国から影響があったと考えられているのでしょうか?
弥生時代以降の歴史的展開においては、まず、クニや地域首長、王権の誕生自体が、朝鮮半島や中国大陸からの文物の流入によって成り立っています。灌漑稲作の知識や技術、金属器の製法や形式・原型と素材、祭祀や卜占の方法など、それはあらゆる分野に渡っています。古墳に繋がる墳丘墓自体が、中国から半島をへて列島へ伝わったものです。授業でもお話ししたとおり、列島における人間の営み自体が、南北からのヒト・文物の流入によって始まっているので、列島の文化の展開自体を、東アジアの交流関係において考えるのは常識的なことです。むしろ、そこに近代国家以降の価値基準を持ち込んだり、国民国家的アイデンティティを投影させ、「何ものにも寄らない列島文化の純粋性」を模索するほうが、無理のある考え方なのです。