古墳のデザインについて、その設計を任されていた技術者集団があったとのことですが、朝鮮半島の南部にも古墳があるらしいですが、朝鮮から渡来した人々が「墓作部」のようなものを構成していたのでしょうか。

朝鮮半島南部に残る前方後円墳については、ほぼ、かつて百済であった全羅南道に集中しています。築造年代は5〜6世紀で、列島の前方後円墳とは断絶しており、その起源と位置づけることはできません。被葬者については種々の見解がありますが、近年注目を集めているのは、倭国から半島に渡り、何らかの形で百済等に奉仕した倭人官僚の墓だという考え方です。ヤマト王権で渡来人の官僚が重宝されていたように、百済などにおいても官僚に取り立てられた倭人がいたことは、『書紀』にも記録として残っています。