前方後円墳には、尸解仙のような発想も関わっているのではないかと思えます。

尸解仙の発想が関わっているかどうかは分かりません。飛鳥時代の授業でお話しすることになると思いますが、『日本書紀』の聖徳太子関係伝承のなかには、『神仙伝』などに基づく尸解仙の伝承を参照したものがみられます。7〜8世紀、尸解仙の概念、言説形式が列島に伝来していたことは確かでしょう。陶弘景による剣解法は、しかし古墳の副葬品である剣とは必ずしも年代的に接続しません。もし尸解仙の考えが早くに伝来していたとしても、一度死んだ状態から神仙として復活するという基本的な認識のみだろうと思いますが、中期・後期には石室を死後の住処とする発想や、天上ではなく並行世界の他界へ赴く発想が強くみられますので、中国のそれとは微妙に異なるものだったのではないか(またそれが古墳文化すべてに適用できるわけでもない)と考えられます。