古墳時代の他界観は、平安時代の末法思想などに繋がっているのでしょうか?

末法思想でしょうか? 末法思想は仏教の考え方で、他界観はあまり関係ありませんので、浄土教のことでしょうか…。そうだとすると、根底的な部分では繋がっている可能性があります。浄土教も仏教の考え方ですが、例えば友人の研究者 黒田智さんが明らかにしたところでは、平安時代以降連綿と作り続けられた極楽往生した(と考えられた)人々の伝記「往生伝」を分析してゆくと、この日に亡くなれば往生できるという特異日が浮かび上がってきます。なんとそれは旧暦の八月十五日、つまり仲秋なのです。一年のうちで最も月が美しいとされた日です。他の関連の絵巻物などを探ってみると、やはり極楽から往生者を迎えに聖衆などが表れる場面には、必ず満月が描かれている。仏教の教学では極楽は西方の彼方にあるとされていましたが、どうやら列島文化においては、感性や心性の面で、月こそが極楽の地であると考えられていた形跡があるのです。これは、縄文時代以来の月を死と再生の象徴とする信仰の系譜にあり、古墳時代に将来された中国の神仙思想にも連なるものです。浄土教が広く流行した背景には、古墳時代以前の信仰が大きく作用していたものと考えられます。